小室しづかは、世界中のジャーナリストやファッション業界から「レースの魔術師」と呼ばれております。
6000種類を超えるオリジナルレースを中心に置きクリエイトされるコレクションは、小室しづかだけの世界。モードと呼ぶにふさわしいものです。
多くのアパレルメーカーからコピーされ、業界紙誌の記者は日本で1番真似されるデザイナーとも呼んでいます。

全国の多くの顧客の皆様、そして芸能人や著名人の方々から愛される小室しづかも順調な道のりばかり歩んできたわけではありません。貧しい時代も、苦難の時もありました。
小室は幼くして父を失い、教師をする厳格な母の手で育てられました。銀行員や弁護士、教師など堅い職業の多い家族の中で育ち進学校へと進みます。
しかし小室は、小学生の時からおしゃれが好きでファッションデザイナーになりたかった。それも母のような自立した女性として。

娘は母を目指し、母は自分よりさらなる飛躍を願い厳しく接する。そのような母娘でした。
進学校を卒業後大学には進まず、母を説得し、ファッションデザイナーになるべく文化服装学院へ進みます。

文化服装学院時代の小室は、ぎりぎりの仕送りのなかでも自分への投資を惜しみません。海外の資料を取り寄せたり、作品創作のために仕送りの2倍以上もするフランス製の生地を買ったり。必然的にアルバイトをするはめとなりますが、ここでも大ヒットのお洋服を生み出すところが小室らしいとこ。当時、時代の最先端レディであるゴーゴーガールの衣装を作れば、その衣装が人気となり、時代のトップガールがアパートの小室の小さな部屋へおしかけることとなりました。外国人のモデルがボーイフレンドと共に大挙して訪れるなど、不思議なお部屋となってしまったそうです。
学生時代にオリジナルを作りたいと決意した小室は創作に励みます。 素材や教材を惜しまない小室にとってアルバイトもまた欠かせないものとなってしまいました。「卒業作品は小池先生から最優秀の作品賞に選んで頂いたけど、卒業証書はみんなより遅れてもらったの。でもみんなからは、もらえたことさえ嘘だと信じてもらえず、さわがれたのよ」と小室は笑って語ります。
学生時代のある日、小室の元にパリのお友達から誕生日のプレゼントが届きます。
それは小室が「レースの魔術師」と呼ばれるきっかけを作るものでした。プレゼントの中身は古い手刺しゅうのチュールレースのカーテン。たたみ3畳ほどもあるすばらしいアンティークレース。「こんなものがあるの」と小室は鋭い衝撃を感じます、心の底から。レースの魔術師が産声をあげた瞬間でした。

甘いものには弱い・・・しづか

文化服装学院を卒業後、小室は何社かのアパレルでデザイナーを経験します。初任給が3万円の時代、25万円を超えるお給料を頂けるほど小室は若くしてその才能を高く評価されました。
妊娠を機に小室は独立します。「自分の世界を何不自由なく表現したい」という考えと共に、真面目な小室は何よりも妊娠で時間的に勤務先に迷惑をかけることが許せなかったからです。26歳の時でした。
出産数ヶ月後、小室はパリに発ちました。さらなるオリジナルの追及を目指して。
旧態的なイメージのままの有名メゾンには目をくれることもなく、小室は1日何往復もパリの蚤の市へ通います。そこにはまだ日本にはない世界があったからです。
デザイナーとしても、マネジメント能力にも非凡な才能を持つ小室だが、独立後3年、その当時の洋服屋は営業面で壁にぶつかっていました。
8人居たスタッフに給料を支払い、そして難しい病気を背負った子供にかかる高額な医療費のため、小室は切り詰めた食事が続く毎日でした。
「高額な医療費と共に息子には便通のため毎日マスクメロンが必要だったの。でも私は粗食の毎日、資金繰りもあるし、まさに極貧時代ね。でもオリジナルを創れる喜びで満ちていたのよ」と小室は当時を振り返ります。
そのどん底の時、今の専務である武脇 玄との出会いがありました。人を見抜く目と能力を計る才能にも長けている小室は、すぐ武脇の能力を見いだしました。武脇もまた小室の世界にほれ込みます。
迎え入れられた武脇は小室の世界を理解するため猛勉強を行い精力的に働きました。洋服屋の大きな飛躍がここから始まります。
小室しづかの息子 礼雄君が幼い頃、「ママの洋服ダンスは夢みたい」と言ったそうです。
「レースの魔術師」と呼ばれる小室しづかは、「素材と色使いの冒険者」でもあり、まさに小室の洋服ダンスは夢のような世界でしょう。
小室は沢山の色が絡み合って今の色があり自分が在る、と語ります。「人生は真っ白なキャンパスに色を加えていくもの。豊かな人生にするために色を指すのよ」と語ります。
小室が創りだした色「チューリップノアール」は、小室の色の代名詞となりました。
小室の言う黒は
黒でも限りなく深く多彩な黒を指します。しかし、黒でも小室にとってその時求める黒はひとつなのです。色に対する要求は余りにも高度で、一時は自家染色工場を稼働させることとなりました。
レースに対するコダワリは言うまでもありません。
同じレースでもタウンに着れる服を作りたい小室は、フェミニンに寄りすぎたものやチープなものは決して作りたくありません。フォーマル傾向の強いレースにファッション性を加味させてプレタポルテを展開させるため、工賃が倍になってもより良い工場で作りました。マニアックなレース服をモードとして確立できたのは、やはり小室の非凡な才能とスタッフの寝食を忘れた努力と情熱、といえるでしょう。
小室とスタッフの情熱は世界のトップメーカーを動かし、糸からの開発を行っています。
コレクションモデル Maya と
自分の世界だけを追及し美しいコレクションを作ることは小室にとって簡単なことでしょう。
見て美しい服も、着てみてさらに美しくなければ小室にとって無意味です。
小室は、何よりも着やすい服、そして女性のボディを最大限活かせる服を目指します。
小室の考えるフォルムを理解するには、真円とオーバルのきわどい境目が分からないと理解できません。神から選ばれた人だけが知りえる世界なのでしょう。
でもお客様には必要ありません。小室が持つ天性の感性と才能、そして繊細で計算し尽くされた服作りが、結果として「着やすい服」を作りだすからです。
そのコレクションは、1+1が2ではなく、3にも4にも5にもなる「重ね着とコーディネートの極地服」です。デザインで重ね、着こなしで重ねるその特長が、女性のボディを最大限に活かした服を完成させるのです。
「沢山の人を素敵にしたい」と常に語る小室は、装いで知性を高く魅せること、美しく魅せることを忘れません。
常に新しい女性の大人服を創造し発信する小室は、まるでオリンピックの一流アスリートが激しいトレーニングを行うように、自分を厳しく磨き続けます。
「私のお洋服は普通の生活では必要ないかも知れません。でも、満たされないものを満たしたり、今を感じ新しい自分になりたい、と想う女性のためには最適のお洋服です」と小室は語ります。
今日も明日も、その先も小室は着やすく美しい服を発信続けます。
私ども洋服屋のスタッフにとって、小室が語る次のコレクションが未来ではなく、「小室しづかそのものが未来」なのです。

4298 SHIZUKA KOMURO
2002コレクション撮影、作品を細かくチェックする小室しづか。